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菊永氏講演

2013年5月11日(土)1:00から日本総合的セラピー研究会の総会があり、その後、特別講演がありました。今回は社会福祉法人東京愛育苑 金町学園の児童指導員の菊永ふみさんの講演でした。金町学園は、聴覚障害児の小学校1年生から高校生までの21名の子どもたちが生活しています。
今回の講演は、そこで働く今年4年目の菊永先生の生い立ちから現在の児童指導員となるまでの道のりをお聞きし、聴覚障害の理解を深めるというものでした。菊永先生は、たくさんのエピソードを織り込みながら自分の生い立ちを話してくださいました。
2-1講師 菊永氏 2-2手話通訳 内堀氏
菊永先生は、両親と兄の3人家族で、赤ちゃんのときに音に反応しなかったり、名前を呼んでも振り向かなかったりしたことで、両親が難聴を疑い、検査してもらったところ聴覚障害が判明したのでした。
聴力レベル122,5dB 左112,5dBでしたが、左耳の高音域(4000Hz、8000Hz)が80dB~90dBと比較的聞こえやすいということで、1歳の時から、帝京大学付属病院耳鼻咽喉科内言語室で言語訓練を週二回受ける毎日が始まりました。(この聴力はまったく聞こえないということではなく、あいまいな歪んだ言語、音として聞こえるということで、菊永先生は、話すときは手話と一緒に言葉でも話してくれていました。)

まずは乳幼児期の言語訓練です。基本的には絵カードを見て、名詞と発音を学んでいくというものでしたが、病院での言語訓練のときも、お母さんが付き添ってその訓練を学び、家庭でも同じように絵カードを使った生活であったそうです。文字が書けるようになると、日記も書きはじめたそうです。お母さんがそれを読んでくれて言葉の使い方や「て、に、を、は」をチェックしてくれたり、言葉の言い回しなども細かく教えてくれたそうです。
お休みの日には外にたくさん出て行って、買い物をしたり、旅行や山登りなどたくさんしたそうです。経験したことを言葉として認識することで、生きた言葉になったといいます。たとえば山に登った時には「すがしがしい」「気持ちいい」という言葉を体で感じたといいます。
菊永先生が、乳幼児のあの言語訓練があったから今の私があるとおっしゃっていたのが印象的でしたし、お母さんの時には厳しく、そして愛情深い関わりがあり、家族の支えがあったことに、感謝の気持ちを述べられていました。

小学校時代は地元の小学校に週2回通って、学んだそうです。小学4年生くらいまでは、先生の援助や友達との関わりの中で、努力すれば何でもできると思える楽しい学校生活でしたが、自分のなかで限界を感じ、聴覚障害であることを強く認識したのが、5-6年生の頃だったそうです。
こんなエピソードがありました。仲のいい女友達の中にはいるが、友達の会話などがまったくわからず、みんなが何で笑っているのかがわからない。自分がぽかんとしていると、友達が説明してくれてみんなが笑っていた理由はわかった。そんな中でわかったふりをして笑っている自分がいやだったし、友達の中で「ありがとう。」と「ごめんね。」だけしか言っていない自分がいて、はじめて難聴をマイナスに感じたという。このときのどうして障害を持ってしまったのかと落ち込んだそうです。今まで努力すれば何でも出来ると可能性を信じていた自分に、限界を感じて落ち込んだ菊池先生の心の痛みは計り知れません。

しかし菊永先生は、基本的に前向きな明るいポジティブな性格でした。これから普通学校に進学するのではなく、ろう学校に入ることを決意しました。
ろう学校でよかったことは、手話を使って話すことで精神的な安定につながったこと、人間関係の基本、人とつながることの大事さを学でたそうです。自分の性格などを客観的に見られるようになったことで、小学校時代に友だちとケンカしていやだったことも、自分の言葉が足りなかったり思いやりが足りなかったりしたことが原因にひとつだと、振り返ることができたといいます。
そして、これからの自分の人生を考えた時に、大学に進もうと決めました。浪人時代もありましたが、友だちが講師の先生の話をノートに書いてくれたり、通訳してくれたりしたこともありがたかったといいます。大学では人間科学科で学びました。大学では情報保障と言って、ノートテイク〈今ではパソコンテイク〉と手話通訳が受けられたそうです。とはいっても大学の専門的な知識を自分のものにする努力は想像に難くありません。その話を聞いた時には、菊永先生の探究心の深さに尊敬の念をもって涙が止まりませんでした。
大学ではボランティアサークルに入っていたそうです。その活動は、
・ 手話パート
・ 子どもの町パート(児童養護施設の子ども達と遊ぶ)
・ 点字パート
・ 知的障害者と遊ぶ
でした。こうしたボランティアサークルの活動の中でたくさんの学びがあり、自分の経験と力を生かし、役立てたいということで、現在の職場に就職したということでした。
4年間の仕事の中で、菊池先生は、子どもと関わる事の難しさ、子どもへの指導や接し方の難しさを感じたといいます。指導が上手く伝わらず子どもから反感をかった事もあったといいます。金町学園には難聴の子どもだけでなく知的障害の子どもや色々な障害を併せ持った子どもたちもいるとのこと、その中での対応の難しさを感じてるといわれました。
また金町学園を卒業して社会に出て行って自立している人もいるが、就職して生活していくことの難しさに直面している人がいたりするので、その支援もしていきたいと話されていました。
この講演を聴いて、もっと金町学園のことが知りたくなりました。金町学園は、平成27年度に社会福祉法人のゆり会に加盟し、東京のぞみ学園になる事が決まっていますが、私たちも金町学園との交流をもっていきたいという思いになりました。
法人交流会では、施設見学の企画もされているので、ぜひ金町学園を見てみたいという思いになりました。



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